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元ラグビー日本代表主将・菊谷 崇インタビューVOL.3『ターニングポイントになった恩師との出会い』

W杯2015年W杯で南アフリカを破り、2019大会ではベスト8に進出したラグビー日本代表。2023年大会に向けて、益々期待のかかる日本代表ですが、その成長と躍進は、2015大会以前からの継承の上に成り立っています。その過渡期にプレーし、キャプテンも務めた菊谷崇さん。ご自身の経歴とコーチングについて、お話をお伺いしました。

今回は、全4回にわたるインタビューの3回目となります。

1980年2月24日生まれ 奈良県出身

身長187cm/体重100kg(現役時)

御所工業(現・御所実業)高校入学後にラグビーを始める。大阪体育大学を経て、2002年にトヨタ自動車に入社。2014年、キヤノンイーグルスに移籍、イングランドのサラセンズでもプレーした。2005年に日本代表初選出、2008年からはキャプテンを務めた。2011年のW杯に出場、2005年7人制W杯にも参加。日本代表キャップは68(歴代5位)。現在は株式会社Bring Up Athletic Society代表取締役を務める。


――現役時代、沢山のコーチから指導を受けました。特に影響を受けたコーチについて、教えて下さい。

僕の人生における重要なターニングポイントは、御所工業(現・御所実業)で竹田先生との出会い、ジャパンでのエディーさんと出会いですね。

――竹田寛行監督からは、どんな影響を受けたのでしょうか?

人間性を学びました。僕、3年間で高校代表になるまで育てて頂いたんですけど、結局最終的に重要なのは、ラグビーの練習よりも、人として大切なこと、挨拶する、使ったものをちゃんと次に使いやすくするとか、そういうことですね。当時は土のグラウンドで、スポンジで水を吸い取ったりしていたんですけど、そうした理不尽というか地味なことを通じて、人間性を教わりました。竹田先生は今のコーチングの哲学に沿っているんでしょうけど、ブレずにそういうところを指導して頂いたなと感じています。

――エディーさんからの影響は?

エディーさんに出会っていなかったら、トヨタを辞めていなかったです。JK(ジョン・カーワン)もそうですけど、エディーさんの指導を受け、インターナショナルのプロのコーチと、アマチュアのコーチとの明確な違いを、はっきりと感じました。コーチになるのであれば、まず勉強したいなと思いました。

――2014年、トヨタ自動車からキヤノンに移籍しました。

指導者になるためです。当時のトヨタには、まだプロ制度がありませんでした。また、現役引退から最低3年は職場に戻らないといけないという社内のルールがありました。そこで、プロに転向してプレーを続け、会社での勤務時間を勉強時間に変えるため、自分から出て行く必要があるかなと考えたんです。結果、トヨタを辞めて移籍をするというところに行きつきました。

――トヨタ自動車は、日本を代表する企業です。移籍してプロ選手になることは、大企業の社員という安定した地位を捨てるということでもあったと思います。

その時は既に、家も建てていたし、会社で主任にもなっていたし、会社を辞める要素は全くなかったです。結構安定していて、素晴らしく順調に進んでいたんですよ。代表でもキャプテンをしていたから、会社で主任になるのも、早い年次で対応してくれていたみたいでした。そんなことがありながらもエディーの下で指導を直に受けたことにより、指導者は最終的に学ばないといけないなという思いに至りました。

――経験だけに頼って指導するコーチもいますよね。

あるコーチに「こういうラグビーどうですか?」と聞いた時、「俺はそういうラグビーしてきてないから教えられない」と言われました。それを聞いて僕は、「こういう人にはなりたくないな」と思い、コーチングの勉強をしようと決めたんです。自分が指導者になった時に、「俺は日本代表やっていたから」、とか「俺は日本代表でこういうラグビーやっていたから」とか、それで「こういうラグビーやれ」みたいなことは言いたくないなと思いました。それが、今の僕のコーチングの柱になっています。要は、示さないといけないけれど、個人の意見をちゃんと聞いてみんなをまとめていく、プレーヤーに主体性を持たせてあげたいなっていうのがあったんです。そういうのって、意外に難しい。

それで、コーチングを勉強したいな、学んでから指導者になりたいなと思いました。

――主体性という言葉が出ました。日本の大学ラグビー部の多くは、学生の自主運営という要素が強いように思います。大学時代の坂田好弘監督からは、どんなことを学びましたか?(坂田好弘=ニュージーランドで活躍、同国代表候補に推す声も上がった伝説的な元日本代表)

坂田先生は、「自由」ですかね。当時は「何も言わへん、このおっさん」とか思いながらも、なんかこう、否定しないというところは感じていました。大学生の僕は、まだ坂田先生を理解しきれてないところもあったのかなと思います。今、仲いいんですよ、坂田先生と。主体性って言うと、なんか引き出している感じがありますけど、「自分達でやりなさい」という感じで、放任的で自由な感じが合っていたのかなと思います。

――菊谷さんをジャパンのキャプテンに指名したJK(ジョン・カーワン)からは、どんなことを学びましたか?

マネージメントですかね。その当時に学んだというよりは、後になって振り返ると、JKは自分から怖い存在感を作り出して、プレッシャーを与え、選手がそれを打破していく状況を作り出す、そういう監督だったと思います。笑顔でいる時とか、敢えて怒る時とか、演技をしていた。自分のスタイルを出していく中で、そういうマネージメントは優れていたなと思います。

To Be Continued…(vol.4は2021/4/11(日)投稿予定)

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