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元ラグビー日本代表最多出場 大野均:インタビューvol.3「世界を知る男のローカル愛」

国籍を持たずとも、ある一定の条件を満たすことで国や地域の代表資格が与えられるラグビー。日本に限らず、ニュージーランドなど多くの代表チームが、多国籍メンバーで構成されています。そんなコスモポリタンな色彩溢れる競技のW杯など、グローバルな舞台で活躍した大野均さん。出身地福島の震災復興活動に尽力し現在は東芝ラグビー部の普及担当としてホーム府中市での活動に勤しむなどローカル愛にも満ちています。そんな大野さんに、ラグビーの文化について、広くお尋ねしました。

今回は、全3回にわたるインタビューの最終話となります。

日本大学入学後にラグビーを始める。関東大学リーグ戦所属のいわゆる「日大ラグビー部」とは異なる、東北学生リーグ所属の工学部ラグビー部。全国的には無名の異色の経歴ながら、逸材を見込まれ2001年に東芝入社、2004年に日本代表初選出。以後、「ラグビーW杯史上最大の番狂わせ」と評される南アフリカ戦など、日本代表史上最多の98試合に出場。

2020年5月、東芝での19年に及ぶ現役選手生活からの引退を発表した。酒を愛し、物腰柔らかく丁寧にファンと接することでも有名。現役時代の座右の銘は「灰になってもまだ燃える」。


――推薦されて練習に参加し、東芝に入社しましたが、ご出身の地元である福島県郡山市での就職が決まっていたと伺っています。郡山に生まれ、大学まで故郷で過ごした大野さんですが、ラグビーによって上京し、日本を代表し、世界を舞台に活躍なされました。ローカルからグローバルという、大きな変化です。

そうですね、ラグビーと出会い、東芝に誘われて東京に出てきました。東芝で頑張ったことで、日本代表に選ばれ、世界で戦ううちに、日本代表として勝ちたいという想いも強くなりました。だからこそ、ウェールズ(※2013年23対8)や南アフリカ(※2015年W杯34対32)に勝つだけの練習をみんなと出来たし、それによって日本ラグビーが世界で称賛してもらえるようなところまで到達できました。そのチームに入れたことは幸せだし、そうやって1つずつ、ちょっとずつ、自分の世界が広がっていったというのも、ラグビーに出会ったおかげだなと本当に思います。

――ラグビーに限らず、海外で活躍することを、ご自身が育っていく過程で想像したり、意識したりしたことは、ありましたか?

ないですね。野球をしていましたが、高校は甲子園常連校ではなかったので、まずは福島県内で勝とうという想いでした。ラグビーも、東北地区2部リーグの所属でしたので、東北というローカル、それでも自分の中ではやりがいのある目標でしたが、その中で勝とうとして頑張っていました。そうした努力を、ラグビーに出会い、東芝に入ったおかげで、更に大きな視野で見られるようになったなと思います。

――東北地方は、今なお東日本大震災更からの復興の途半ばです。また、世界の至る所で新型コロナウイルスが猛威を振るっています。故郷と世界が困難な状況にある中、ラグビー選手だからこそ理解できることなど、ありますでしょうか?

常に痛み伴うコンタクトスポーツであるラグビーをやってきた者として、他人の痛みも分かるということです。こういう状況の中で、辛い状況だったり、痛みだったりを感じているは自分だけじゃないんだと、ちゃんと理解できる力を、ラグビー選手はみんな持っているのかなと思っています。自分自身は、ラグビーを経験し、キツイことも、辛いことも、いつかは終わる、そういうメンタルを持つことが出来ました。日本代表で厳しい合宿を繰り返してきましたが、あっという間に終ったなと思いますし、それこそ2015年のエディーさんが監督の時(2012~2015年)のキツイ合宿も、今となってはいい思い出です。

――昨年の流行語大賞に「ワンチーム」が選ばれました。なぜ、この言葉が世間に受け入れられたのだと思いますか?

自分が代表の時からそうでしたが、「ラグビーは日本代表なのになんで外国人が入っているの?」ってよく言われていましたよね。2015年の時もそうでしたが、あれだけいろいろな国から集まってきたメンバーが、試合の前に『君が代』を大きな声で歌ってくれて、こんなに痛いスポーツでジャパンのために体を張って、それこそ南アフリカに勝つことができた。昨年のワールドカップでも、どの国のチームでも、ラグビーという痛みを伴う競技でみんなで身体を張り1つの勝利を目指す。そういうのを見せてくれたからこそ、あれだけW杯も盛り上がった。その本当に分かりやすい一言が、「ワンチーム」だったんじゃないかなと思います。

――グローバルな舞台で活躍なされた大野さんですが、中でもフランスとの縁は深かったように思います。日本代表初選出時の遠征地であり、初めて出場した2007年W杯の舞台でもあります。2016年には、フランスの料理「ガレット」の親善大使も務められました。

フランスには独特の文化があって、フランス人のコーチは面白い言い回しをするなという印象もあります。初めて行った海外の国はニュージーランドだったのですが、日本代表のコーチがフランス人になったり、フランスで合宿したりして、フランスのラグビー文化に触れて、また違ったラグビーの見方が出来るようになったと思います。

初めてのW杯がフランスで、凄く緊張した毎日を過ごしていたのですけれど、ある時エールフランスの便でフランス国内を移動した時に、機内食でブルーチーズとアプリコットジャムを塗ったバゲットが出てきました。そういうものを食べたのが初めてだったのですが、凄く美味しくて、W杯中の緊張を一瞬和らげてくれました。

リモージュでの合宿中には、休みの日に何人かで飲みに行ったのがタバコ屋だったのですが、タバコ屋の奥にバーカウンターがあって、店の女性がグラスにビールを注いでくれて、フレンドリーに接してくれたのも、いい思い出です。フランスって凄く気取ったイメージがあったのですけれど、町のタバコ屋でお酒を引っ掛けるって、日本の酒屋の角打ちみたいな感じで、こういうところもあるんだなって、親近感がわいたのを覚えていますね。フランスには、本当にいろいろな思い出があります。

――日本代表では、計3人のフランス人コーチの指導を受けています。

ジャン=ピエール・エリサルド(2005~2006年ヘッドコーチ)が、代表キャプテンに指名してくれました。キーワードがアダプタビリテ(Adaptabilité)、「適応する」という、1つの枠にはめるのではなくて、ボールを持った選手がひらめいたプレーに対して回りが反応しようというのを凄く強調していたのですが、それがフランスっぽいのかなと思っていました。自分がキャプテンになった時、エルサルドに門限を作った方がいいんじゃないかと言われました。

当時のリーダー陣と話し合って、門限を作ったんですけれども、何日か後にその門限を破った選手がいたんですね。それでエルサルドに、どんなペナルティーを与えますか?と聞きに行ったら、「門限やルールは破るためにあるんだ」という答えが返ってきました(笑)。フランス人の考え方だなって思いました。世界にはいろんな考え方があって、だからこそいろんなラグビーがあって、面白いのかなって。

――エディー・ジャパン時代、スクラムが武器になりました。スクラムコーチは、元フランス代表のマルク・ダルマゾでした。

本当に自他ともに認める変人というか(笑)。自分が周りから変人と思われていることは、認識しているみたいです。ダルマゾが来る前ですけれど、エディーさんが、スクラムを日本代表の武器にすると言ったんです。それ以前、スクラムを武器にしようというヘッドコーチは一人もいなくて、むしろスクラムをいかに減らすかっていうことにフォーカスしていた部分がありました。

スクラムを武器にするって本気で考えているのかなって思っていたら、その秋に、フランスの中でもスクラムに凄く特化したコーチであるダルマゾを呼んでくれたんです。最初、スクラムを1対1で組んだ状態で縦や横に移動するとか、それまでやったことのない練習でみんな崩れていたんですけども、それを毎日繰り返すうちに出来るようになって、それが3体3、5対5に増えるという風に、どんどんどんどん自分達が成長するのが感じられて、面白いコーチだなって思いました。その遠征の時に訪れた地方の街で、「ダルマゾが来た!」っていう感じで地元のメディアやファンが集まってきたのですが、それでやっぱり凄い人なんだなって認識しました。

初めて触れた指導方法だったので、フランス人が考える練習方法って面白いなって感じたのを覚えています。彼は、どこかエディー・ジャパンのマスコットキャラクター的な感じでした。練習は確かに厳しいんですけれども、普段の言動も凄く面白い人でした。

――その言動の中で、特に印象に残っているものは何かありますか?

練習で言えば、スクラム組んでいる時にいきなり上に乗っかってきたりとか、突然砂利道でプランクやるぞって言い出したりとか。ダルマゾ自身も一緒にやるから、自分達もやらざるを得ない。砂利道の上でプランクとか、理不尽な練習に思えますけど、そこをフォワードみんなでやり切ったことで、少しずつ絆が固くなっていったのを感じました。そういう目的も考えながら、無茶なことやらせてきたのかなって思いますね。グランド外では、フォワード陣で焼肉を食べに行った時のことが、印象に残っています。ずっと端っこに座っているんです。もっと真ん中に来いよって言ったら、「どうせお前ら俺の事嫌いだろう」って言って(笑)。それがすごく可愛かったです。

――焼き肉のお話が出ましたが、他のスポーツと比べ、ラグビーとお酒は相性が良いと言いますか、文化としてセットになっている伝統があるかと思います。大野さんは酒豪として知られていますが、一方、プロ化が進み、アルコールを控える選手も増えています。

ラグビー選手だからといって、その文化を無くさないために飲んで欲しいとは思わないです。自分は、キツイ練習をしたら、そのキツイ練習の話を肴にしながらお酒を飲んでチームの距離が縮まる、そういうことを感じていて、それが好きでした。

でも、それが無くなったからと言って、ラグビーの魅力がなくなるわけではありません。大事なのは、日本代表が世界に勝ち続け、ラグビーが日本で常に注目される位置にいることであって、選手が自分のベストパフォーマンスを出すために何が必要かということだと思います。

――大野さんは、酒席を含め、ファンとの交流も大事にし、ラグビーの魅力を伝え、発信してきました。一方、ファンとの触れ合いを苦手とする選手もいるかと思います。

そうしたことが、その選手の負担になったりストレスになったりするのであれば、それもその選手の個性でもあるとも思いますが、そういう活動や時間も、トップ選手として大事にする責任はあるとは思います。自分個人としては、全ての選手が、ファンやメディアに対する対応を、きちんとして欲しいと思います。

――引退されてから、東芝の普及担当に就任なされました。ご自身のこれからについて、教えて下さい。

東芝ラグビー部が好きな人にはもっと好きになってもらいたいし、知らない人にももっと知ってもらいたいと思っています。東芝の魅力、ラグビーの魅力を、まだそこまで関心のない人にも、こちらを向いてもらえるような活動ができたらいいなと思っています。まずはホーム拠点として活動している府中市との関係をもっと強いものにしていきたいと思っています。

それこそラグビーの町として、府中市も力を入れてくれているので、もっと連携できたらいいなと思っています。また、府中市に限らず、いろいろな所から声をかけてもらえるので、そういうところに行って、いろいろな地域のいろいろな人達と触れ合って、東芝のことだけではなく、ラグビーそのものの良さを知って欲しいと思っています。グラウンドには立たないですが、ラグビーに携わることで、これからもまたいろいろ方と会う機会があると思いますし、いろいろな経験もしていくと思います。

そういう中で、ラグビー選手ってこういう感じなんだと分かってもらえればと思いますし、またその新しいことを経験して、自分の中の新しい可能性に気づくこともできるだろうし、そういう意味で、ラグビーに携わることで、これからも新しい自分を発見できるんではないかと思っています。

画像提供/プレー写真:志賀由佳、スーツ写真:東芝ブレイブルーパス
End(これまでお読みいただきありがとうございました。完)

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